本当に刊行されてたなら、って考えるだけで、
どきどきわくわくはらはら、ヴィヴィッドなここち。
そんなふうに刺激を与えてくれる一冊。
「週刊本6 本本堂未刊行図書目録 地平線の書物」
坂本龍一
1984年11月1日 発行 / 朝日出版社 / 500円
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1984~85年にかけて定期的に配本されてた叢書、
「週刊本」シリーズの6巻目。
その内容に、本本堂の “未刊行図書” 50冊の目録。
目録の構成に、装幀(デザイン案)とブックリスト(概要)。
本本堂は、坂本龍一さんがその当時立ち上げた出版社。
「(今年復刊された)長電話」や、カセットブックなど
発行されてました。
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装幀(デザイン案)に少し……
上から順に……
「一定時間が経つと燃え始める、読み手の
知りたいエネルギー(欲求)に対抗するような本」
……<煉獄論あるいはゴダール・スペシャル>
浅田彰 / 装幀・井上嗣也
「その論を開こうとするには、重たげな表紙に
硬そうなボルトをはずさないといけない本」
……<中上健次論(カセットブック)>
浅田彰 + 坂本龍一 / 装幀・赤瀬川原平
「(幻覚作用があるといわれてる)檜の一枚板による、
薄くスライスされてそれがページをなしてる本」
……<鬼奈沙・黙示録>
半村良 / 装幀・奥村靫正
「ひもとくとそれ自体が壊れてしまう、
その再構築・再構成が読者にゆだねられた本」
……<壊れる本>
構成・坂本龍一 / 装幀・日比野克彦
ピックアップした以外の装幀にもいえる、
常からの逃避感。
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人って、情報を理解する状態へもってくまでに、
“言語的なるもので構造化する(形にする)” って
面倒を踏まなきゃ、そうして出来上がったメディアを
介さなきゃ「なるほど~」「ふ~ん」「おもしろ~い」
って感触、つまり理解にまでたどり着けない。
現実問題、そんな感触を得るための媒介、メディアが
この世に多すぎる。
本にしてもレコードにしても、人はいまだに目や耳から
膨大な迂回路を経て情報とコミュニケートしてる。
そこで、こんな考えが浮かんでくる……それは、
目や耳で触れるメディアが形づくられる以前の思考、
ってものに(たとえば、文章として原稿用紙に
吐き出される前の言葉だったり譜面に起こされる前の
メロディーだったり、そんなクリエイターの頭の中で
それら発想のゆらいでる状態、に)、
ものすごくヴィヴィッドで、流動性に高くて、
常に変容するなにかが潜んでて、そこに受け手が
“シナプス的連結”できたなら非常に面白いはず、って。
この週刊本に、
50冊の装幀やブックリストを自由に眺めるだけで、
まるでそれら情報を好きな場所からランダムに
アクセスしてるような恰好で、それって
脳神経に直結してるようなイメージに近い……
そんなパフォーマンスを見せる、っていうのが、
本本堂による未刊行図書目録。
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「紙」に「文字」が印刷されて「本」という
“構造化されたメディア” になってそれが物流に乗って
全国の書店へ運ばれそこで販売される部数に一冊手に取り
ページをめくり……することで、
ようやく著者の思うところにたどり着ける
(わたしの場合古本屋さんで「教授の本!」って見つけて
購うまでの年月も迂回路に含まれるものと……そうして
発行から40周年を迎えた今年にたどり着けた、っていえる)、
そんな本書に収録されてる対談『坂本龍一 × 浅田彰』から
帯文にコンセプト(未刊行図書目録の趣旨)のあたりを
わたしなりに崩してつづってみました。
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本本堂未刊行図書目録。
そのポストモダン期の1980年代に創られた、
非合理主義につら抜かれたそんな一冊のご紹介でした。
肩凝りましたか? 両腕をぐるんぐるんしましょう!