「わたしは真悟」で思い出した、これも機械に命の宿る漫画……

 

前回ご紹介の “芸術新潮「楳図かずお特集」” の中で

名作「わたしは真悟」を紹介するページがあるんですけど、

その単行本を久しぶりに読んでたら、


さとるとまりんがプログラムすることで命の吹き込まれる、その

機械なのだけれどまさに魂を宿した存在となる “真悟” に、ふと、


機械が人間となるみたいに命を宿す設定の漫画に

数知れないですけど、なのにどういうわけでしょう、

こんなのあったなって、かつて読んだこの作品の記憶が

ほかをさしおいてよみがえってきたという。


そこで、今回はそれをご紹介です。


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1982年2月1日発行 / 定価980円


まさに当時のニューウェイブにあぶらののった頃でしょう、

ひさうちみちおセンセーの作品集。


どの作品も、絵のタッチが初期の劇画みに抜けて

ポップともいえるイラストレーションふうみです。

けれど、内容の方は、ご存じのみなさまにはまぁそういうことですよね、

なかなかにアナーキーです、そして、なかなかにエッチです。


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この作品集に、

三編の連作のようなものが収められています。


「山本一郎」さんという名前のロボットについて、

その身の転じる先々で仕え働いてきた人生を描いた二編と、

その息子の孫「三郎」くんの人生を描いた一編。


で、「わたしは真悟」を介し思い出したのは、連作の中の、

山本さんの生まれた経緯の描かれたプリクエル的な一編。

以下に少々。
























ここから更にページは続く……。


お話は、触りにこんなふうで、

(まだ山本一郎という名前がつく前のこと)

ときに戦中、苦学生樋口さんの学費を稼ぐ手段として

夜店の的当ての機械仕掛けのオニとして生まれ

そのよくできた電子回路で人間性を宿し客を喜ばせていた山本さんが、

状況に転ずる中で辛うじて人型といえるような体を獲得し、

やがて引き取られる財閥の家でそこの令嬢に仕えながら、

あるとき軍人に目をつけられてお国の戦争のために仕えることとなり、

軍力増強に山本さん型兵器が造られて……


といった感じ。


見どころに、

引き取られた財閥そこの令嬢のいじわるにつくすことで

 “ヨロコビ” を獲得する、被虐性愛という人間性をも

真摯に獲得する山本さんにそのあたりかな。


お話自体、連作にほかの二編も加えて、

読者を特段笑わせたり泣かせたり熱く啓蒙したり

そのようなふうにはないのですけど、

淡々とひさうちさんリズムに語り調子で進んでいく

山本さんの人生というものに、

読者目線に身近な距離感でありながら、しかし

客観的に距離を置いてうかがっているようでもあるところに、

それがなんとはなしに映画監督・小津安二郎の作品テイストを

わたくし的におぼえたりする、

「山本さんのおぢいさんの青春」に一編。


   ……で、

   この作品を思い出したきかっけなのですけど、

   (ページ画像にもありますが)腕を獲得したときの姿が

   アーム型機械の “真悟” となんとなく重なるような……気がして、

   それでなのかな、みたいな。


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連作以外の作品にもちょびっと触れておきますと、

どれもがひさうちさん的アカデミックテイストにあふれております。


男女の出会い方について、女性のしくみについて、

運命に不幸というものについて、など、そういったものを題材として、

まぁ過剰にソフィスティケートされた感じに創作されてます。


たとえば一編に、










姿形に三文字で、アソコ、って言葉の主人公が、

それまで閉じ込められてたエッチな雑誌から自立を目指して出、

やがて言葉を求める元書道家であり画家志望のところでモデルを務め

その差別偏見のない眼によって芸術の域に描かれる、っていう、

そんなお話とかね。

(それ読んで、そういえば、と、日本ファンタジーノベル大賞の

 過去作を思い出しました。“バス停” が主人公の一編を)


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絵に成人向きでアレな感じなのがそこここに見受けられて、

ここではご紹介しにくいところもある今回の一冊、

古書店、ネットオークションなどで入手可能だと思いますので、

よろしければ一読いかがでしょう。