遅ればせながら。猫村さんは実写の観てました。
上下巻ともに:2014年10月25日 第一刷発行/1000円+税
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以下感想に長々しくなく。ネタバレみたいなのご容赦
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十四歳のりくに清澄のほどを読みました。
その蛇口をひねるかっこうでなく心底からの、
ひざをつきこらえきれぬ胸から声を上げ滂沱とする最後に、
泣きました。
お話の肝に、親せきの幼い子“時ちゃん”とのかけ合いに、
そのときだけは普段とかわって自身を発してるりく。
双方いつわりのないかけ合いに、それはもうなくてはならない
“時間”で、だからその役割に踏まえられた上で“時男”って
名前がつけられたものと。
そもそも、
りくの父親が会社のアルバイトの女性と不倫してる(そのこと知ってる)、
母親も(りくを関西へやってから)過去つき合ってた男性と会う、
(本文に借りるなら)“大人として間違った”そんな両親と
同じ屋根の下で暮らしてるんだから、そこに思春期ってのも加味に、
感覚に鋭敏となってしまう、蛇口をちょっとひねるように
涙を流せてしまえるのもそうでしょう。
転校先(大おばさん家)に、その、
ぼけとツッコミの常日頃にそんな喋りようのまんべんない環境、
ってところに、作者が関西の方、嵯峨美(京都の美大)出てるから、
実際に親しくある土地柄を設定したものと、いえ、設定などと
ネームに構えずとも自然に必然にそうなったのに違いないものと。
そこに、もし引っ越し先が別の土地柄だったならお話の雰囲気に
どうなってたかなと、“時ちゃん”の存在はおそらく不可欠として、
その異なる線に思いのよぎったり。
転校先だけでなく“両親と住まう地”もひっくるめて、
そこんところの、土地柄を読む、という風趣の作品とも。
楽しくないし嫌いとする運動に片思いされてるそんなりくの、
足の速いところが軽妙なアクセントといった感で。