「怒りの漂白剤」綿矢りさ
その一編は、書き手の短編集に単行本か文庫本か、
電子書籍で読めるんじゃないでしょうか。
調べてないのでわかりませんけど。
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この先、ちょっと読むのに長いし、読みにくくあるかも。
それしんどいって思ったらここまででいいですから。
--------- 以下にネタばれ注意でお願い ---------
この一編に、
自分(=書き手)の性格に怒りっぽい、
そんな怒りの感情ってものと別れられないか、と思う出発点から、
そうなってくれるよう実践する手だてに幾つかを介し考察を重ね、
最終的に至るところの思いがつづられてる具合。
---------------- それで、内容に ----------------
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※ 以下、()の中の言葉はわたしの解釈とか、です。
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手だて(怒りを抑える・散らす、といった処方)ってのに、
甘い食べ物の摂取だったり、ウォーキング/散歩にジョギングだったり、
を実践。
で、
運動の手だてに疲れた状態から、気づけたことがあった、と。
ジョギング中におぼえる疲労から自身の体力のなさに自分が嫌になり、
そこから心配ごとが脳を駆け巡り、
そんな一般的にストレスといえる状態の心を観察したところ、
ストレスを抱えている自分はしょんぼりって思いにある、と
(やるせなさにため息をもらす感じ、みたいな)。
でも、根底では「なんで私がこんな目に」って怒っている、と。
(なんでしょんぼりさせられなきゃいけないの!って感じ、みたいな)
ストレスは怒りの感情から発生しており、
また、ストレス以外にも、マイナスの感情といったものにも
怒りは微妙に含まれている、と。
(マイナスの感情といったものに、
鬱屈、歯がゆさ、フラストレーション、など、みたいな)
で、
怒りの考察にあれこれあってからの、
平常心を守り続けよう、穏やかな心を持とう、
なんてことを自分に言い聞かせても簡単にはいかない、
って思いの吐露から段落に次いで、(タイトルにあるとおり)
「怒りの漂白剤」ってもんが売ってればいいのに、との考えが。
それがあったなら、
どす黒く汚れている心がたちまち透明な美しい水に生まれ変わる、と。
しかし、
「怒りの漂白剤」なんて存在しない。
そんな現実にあって、(なんと)半年間怒らない習慣を心がけた結果、
こんな意外な答えにたどり着いたのだ、と。
それは、
好きを好きすぎないようにする、ということ。
性格に怒りっぽいのと対極に、
好きなものはとことん好き、という “ひいき” 癖があって、
その好きなものを神格化しすぎないで、
距離を置いて良い面も悪い面も見極められるようになれば、
ものすごく嫌いだった物事のちょっとした良い面も見つけられ、
あんまり嫌いでなくなる、と。
(“好き” に偏りすぎる、そんな)強すぎるプラスの感情は、
逆にマイナスの感情に暗い影を落としている、と。
そうおぼえた上で、ほかに心がけるなら、
無理にムリなものと付き合わないこと、と。
分かり合えそうもない(マイナスの感情が働くであろう)
そんな事柄と接する状況にあっては、淡々とその要件を終わらせる。
ムリなものと付き合うこと、そんな苦行は楽に終わらせる。
それは怠けではなく、生活の知恵だと思うようになった、と。
好き嫌いその白黒をつけすぎない考え方で
(つまり怒りも受け入れるって方向性で)、
幸と不幸ってところも分けすぎにやっていけばどうか、と。
(そうすればマイナスの感情も抑えられ楽に生きられる、みたいな)
怒りには(マイナスのイメージに強いだけでなく)
神秘的なパワーを感じるときがある、と。
なにくそ、見返してやる!って、プラスのパワーに化けることも。
そんな奮起させる材料になったりもする、と。
でも、
奮起してまで、怒ってまで頑張りたくはない、と。
そんな本音をし、(最後の締めくくりに)
“できたら身体のどこにも力の入らない状態で、
世の中の身近な平和を喜びながら、
色んな物を見たり聞いたりできる限りたくさん経験して、
すいすいと歩いて生きていきたい。” と。
--------- 以上、ざっと ---------
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読み終えた直後に、はぁそうですか、と声に漏れ出、
それまで読んできた内容のすべてが
最期の締めくくりに持ってかれた感じがしました。……
で、
その感から時間に経、改めて思ったところに、
あくまでもこの書き手の思うままの一編ですし、
怒りに対する考察にうなずける部分や、
面白いと思える部分もありましたが、
どうにも最後の締めくくりに強い引っかかりがしてならず、
そこにつづられた書き手の望みになんていうか、
そう、“いやらしさ” をおぼえる
(それは書き手の、いい意味での “手技” なんでしょうきっと)、
そんなところも読み物としての在りようなんだろう、って。
なぜ “いやらしさ” をおぼえるのか。
その考察に、
書き手が怒りっぽい性格に悩むところがあるとはいえ、
色々経験してすいすい生きていきたいだなんて、
結句なんだかんだ言ってもその書き手の過ごす日々に、怒りも、
マイナスの感情が酷く生じる苦行めいた状況もそう大してあるわけじゃない、
楽しんで生きていられる調子なんだな、って、そんな感触がして、
それが読者によっては鼻につく、「私の日々はあなたのよりも幸せ」
そうマウントを取ってくるふうに思えたりするんじゃないだろうか、と、
そんなあたりから。
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きっと少々疲れ気味のマイナスメンタル状態だったせいでしょう、
幾らかひねくれて見える目線でそんなふうに読んだ一編でした。
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ここまで長々と付き合って頂いた皆さまには、
ありがとうございました<(_ _)>
今回はここまで。あー、なんだか肩凝ったぁ。
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巷間にマスクをつける習慣が薄れつつあるみたいですけど、
コロナの波はまだ消えていません、引き続き用心してください。